実は僕は逆算思考が全く出来ない人間だ。以前
7つの習慣を読んで、ミッションステートメントなるものを作ろうと思ったのだが、全くもって無理だった。というか、腑に落ちなかった。
以前書いた記事
10年後に社会の中で実現したミッションは何ですか?で、リクナビのミッションを作りましょうというセミナーに対して違和感を感じたことを書いた。
今回の記事はその違和感に対する自分の中での答えなのかもしれない。
(最初に断っておくが、別に僕は夢やビジョンを持つことが悪いと言っているわけではない、無理してまで持つ必要はないと言っているのである。)
なぜ夢やビジョンを持てと言うのか
夢やビジョンを持てという人は、必ずと言っていいほど、
・自分自身が夢・ビジョンを持って大きく行動が変わったことが原点にある。ほとんどの人間は自己否定が出来ない。多くの人がベンチャーではなく大企業に行けというのは自分自身が大企業にいる(もしくは大企業に行きたかった)からである。
ベンチャーに行った人で大企業に行け、とアドバイスする人なんて聞いたことがない。
話を戻すと、自分自身の経験から来ているのである。ここに重大な見落としがある。大事なのは
夢やビジョンを持つことではなくて、夢やビジョンを持つに至らしめた経験なり体験なのである。
それを抜きにして、夢とビジョンを考えたとしても、それは空虚な妄想でしかなく、達成される見込みは限りなく低いのだ。逆に何か強烈な経験・体験を通して見いだしたビジョンは、自らの心に深く刻まれ、いつ何時もそのビジョンのために頑張ることが出来る。
なので本来ならば、夢やビジョンなんて持とうと思わず、とりあえず目の前のことに一生懸命取り組み、自分の視野を広げるために色々な行動を起こすことこそが大事なのである。そういった意味で、リクナビのセミナーはひどく期待はずれだった。
僕には明確な夢とビジョンはない
明確な夢とビジョンは何1つない。
現時点では、漠然と、世界に誇れる日本を作りたいなと思ってはいるが、そのための目標などは何もない。なくてもいいと思っている。そんなもの、時間とともに移り変わっていけばいい。
今は目の前のことをやることが何よりも優先される。最近はこれが出来ていないので、やらなければならない。いくら壮大なビジョンを持っていても、それに向かって何も行動をしていなければ僕は凄いとは思わない。
基本的には、人は思想ではなく行動で評価されるべきだと考えている。
好きな言葉の1つに、
Think Globally, Act Locallyというものがある。視点は世界におきながら、地に足をつけてやるべきことをやること。
時間とともに、大きく変化しくこの時代において、ビジョンを持つことはそんなに重要な意味を持たない。それよりも、その時々において、自らの頭で考えて、時には自己否定をして、行動に移すことの出来る能力こそが、真に必要な能力だと思う。
動的なビジョンを持てる柔軟性を身につけたいと強く思う。
そして、僕が死ぬ時に、あぁこれだけは変わらない価値観だったなと言えることがあって、それを後世に残すことが出来れば、それほど幸せな人生はない。