Creative Life

酒とバスケをこよなく愛する戦略コンサルタント

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borderless world

お免状を取るために集中してやってきた書道が一段落したので、これに絡めて最近の思考を吐き出してみる。



「芸術は偶然性だ」

これは僕の書道の先生が仰った一番心に残っている言葉。

コンピューターでは出来ないもの、それは感情を表現することと異質なものを結びつけて何か偶然を起こすこと。将来的には出来るようになるかもしれないけど、そんな世界はきっとまだまだ先のこと。伊達に生命は何億年かけて進化していないよ。

芸術の何が素晴らしいかって、それは人が持つ想いや主観を、自由な形で表現出来ること。人間の感情とか心の奥底にある想いは、言葉にした途端に陳腐になってしまうんだ。俺は英語しかまともに勉強したことがないけど、日本語ってそういう人間が持つ微妙な感性を表す語彙が他の言語に比べて圧倒的に多い気がする。けれどもその日本語を持ってして、決して芸術家に比べたら浅すぎるような感性しか持たない僕ですら、何か想いを言葉として落とし込むときに少しだけ違和感を感じるんだよな。


僕は大学4年からひょんなことがきっかけで今こうやってライフサイエンスの研究をしているわけだけど、そこには何か芸術に通じるものがあるような気がするんだ。真理ってものはいつでも美しい。DNAの二重らせんもアミロイド繊維も初めて見る時は感動するくらい秩序だっていて美しい。何もライフサイエンスだけではなくて、研究それ自体を長くやると芸術に近いものがあるんだ。うちのラボには1つの分野を50年以上に渡ってやってきたボスも師匠と崇めるその世界では人間国宝みたいな人がいて、その人は研究は芸術と同じだと言ってた。まだ研究者のはしくれでもない自分にはその意味を真に理解する日が来るかは分からないけれど、何かきっと近いものがあるんだろう。


話を芸術に戻すと、僕は曲がりなりにも10年以上書道を続けてきて、こんなことを良く思う。書道にはお手本がある。それが仕える先生の書いてくださった字であったり、王羲之のような古代の偉大な書家のものだったり。最初はそのお手本を目指して書く、筆遣いとか書道という表現形態で基本となることを学ぶ。それは伝統的に受け継がれた形式であり、その表現形式をないがしろにして自己を表現したってそれは受けてには伝わらずに文字通りの自己満足でしかない。

けれどある程度伝統的な型を身につけた後は、そういった字から逸脱することが必要となる。1つの作品を完成させる時にいつまで経ってもお手本を横において書いているようでは、良い作品は出来ない。お手本を頭の中に叩き込み、筆使いを体の髄まで染み込ませ、最後に必要なのは自分の感性に従って書くことだ。

「守・破・離」と言ってしまえばそれまでだけど、実際に経験するのと外からその言葉を使って分かった気になるのでは、雲泥の差がある。


語弊を恐れずに言うと芸術は基本的には一方通行なんだ。ビジネスのように顧客のニーズを汲み取って・・・みたいことは決してしない。自分が思うままに自分を表現すること、それを受け手がどう感じようがどう受け取ろうが関係ない。自分の感性を表現しようとするためにひたすら鍛錬を積むのが芸術であって、決してビジネスとは性質が違う。



でもこれって本当にそうだろうか?



真に顧客の心に響くサービスは、究極的には自らの主観をぶつけた企画なんじゃないのか?きっとそこにその人なりの哲学があって、その人が持つ想いを実現しているのがビジネスなんじゃないのか。というか客観的な主張なんてこの世にないし、たとえあったとしてもそれは価値があるものではきっとない。

確かに今のビジネスの多くは実際はそうはなっていないかもしれない。それは今までの社会は基本的にものが足りない中で、顧客に取って必要不可欠なものがビジネスになった。洗濯機も、車も、テレビも、冷蔵庫も、人々にとって必要なもので今となっては必要不可欠なものだ。パソコンや携帯ももうそうなりつつある。

けどもこれからは足りないものではなくて、余るものが沢山ある中で、顧客がどれを選択するかの時代が来ているような気がするんだ。便利なモノが沢山あった方が良いという時代は終わって、本当に価値のある少ないモノを使って、シンプルに生きるかに価値基準がパラダイムシフトしつつある気がするんだよな。書籍が電子化する流れなんて良い例なんじゃないかな。


そういう世界で人々を感動させるビジネスを生み出すためには、他者との関わり中で自分を徹底的に突き詰めて感性を極限まで研ぎすませた後に、主観をぶつけることが必要なんじゃないかな。Appleなんて良い例だと思う。直感的で美しいインターフェイスでPCのシェアをwindowsから奪いつつあるし、プレゼンソフトもpowerpointからkeynoteにシフトしつつある。携帯に関してもiPhoneがスマートフォン市場を切り開いたといってもいい。アップルは徹底的にユーザビリティを追求してそれを参考にしつつも、Steve jobsっていうカリスマの主観をぶつけた妥協なき製品になっている(ような気がする)


何の根拠もないけど、これからのビジネスはきっとそうなると思う。そもそも人間が行う活動ー研究であれビジネスであれ芸術作品の創造であれ、それらは決して別個として語られるべきものではないと思うんだ。それらの境目が曖昧になって、人々がそこに何か普遍的な価値を感じるものだけが選ばれて行く気がするんだ。


素敵な世界になりそうな気がするのは僕だけかなぁ。
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| ニュース/コラム/思考 | 02:04 | comments:2| trackbacks:0| TOP↑ | はてなブックマーク - borderless world

COMMENT

初めまして。

ビジネスと芸術がつながるとは思ってもいませんでした。
でも確かに言われてみると、もう必要をみたすって事はなくてほとんどが十分になってきてますね・・・。
そうするとその中で生き残るのはハナさんがおっしゃる通り個人の感性をぶつけてきた人、目的意識が明確な人なのでしょうね。

でもそれはつまり世の中で能力主義が強くなるって事ですよね?
今までのニーズに応えるビジネスがなくなって、個人の目的が明白に反映されてる商品が出てくる。
勿論その中で受け入れられる商品もあれば逆にまったく受け入れられない商品もある。
そこには今までの要求をみたすビジネスなんてのはほぼなくて、上が下かの二極化が起こる。
強者と弱者しか出なくて、弱者には住みにくい世の中になっていく。
なんか昔の競争社会みたいになりそうですよね。
その時に国がちゃんと役割を果たせるかって事が大事になってきそう。

ハナさんはそこの所、どうお考えですか?

でも、実は僕もハナさんと同じく将来に期待する側です笑
一応茶道をやっているのですが、茶道は花、掛け軸、茶碗、茶室等など道具すべてにその人の感性が問われますね。やはり茶道、書道、華道には共通した要素があるのですかね。
というか早く受験を終わらせて、茶道に戻りたい・・・(泣


| dawn | 2010/07/31 09:24 | URL |

Re: タイトルなし

dawn さん

> でもそれはつまり世の中で能力主義が強くなるって事ですよね?

そうとも言い切れないと思います。
ニーズにこたえる商品はなくなりませんし、どんなビジネスをやるにしろ現場でオペレーションをする人・戦略を考える人など色々な人間が必要です。役割分担がより明確になるだけだと思います。
また、どんな人も自由に価値が出せる時代になると思います。

> なんか昔の競争社会みたいになりそうですよね。
これはサブプライム前のアメリカのことを指していますか?

> その時に国がちゃんと役割を果たせるかって事が大事になってきそう。
ベーシックインカムという制度は一つの解決策な気がしています。

> でも、実は僕もハナさんと同じく将来に期待する側です笑
> 一応茶道をやっているのですが、茶道は花、掛け軸、茶碗、茶室等など道具すべてにその人の感性が問われますね。やはり茶道、書道、華道には共通した要素があるのですかね。
> というか早く受験を終わらせて、茶道に戻りたい・・・(泣

茶道いいですね!こういう日本の伝統は発展させて後世に引き継ぎたいものですねぇ。

| ハナ | 2010/08/20 11:10 | URL |















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